防災グッズの多様性には驚きます。


本当に必要なものはそんなに多くは無いと思いますが!




あれから4年。


多くの日本人がこの国が地震大国であることを思い出し


悪い意味で地震に慣れてしまっていた事に喝を入れられた日。



当時はまだ働いていて、昼の休憩が終わり


午後の仕事を始めようとエレベーターを待っていた時でした。


最初は「めまい?」と思うほどゆっくりした横揺れを感じました。


先輩の「揺れてる?」という声でやっぱり地震か!と思い


窓の外の看板が激しく揺れているのを見て


『南海トラフ地震』が来たのだと思いました。


しかし、階段で1階まで降り


テレビを見ると震源は遠い東北の海。


初めて見る『大津波警報』の文字。



しかし本当にあんなに大きな津波が来て


あれほどの被害になるなんて想像も出来ませんでした。


私が本当に大変な地震と津波だったんだと知ったのは


恥ずかしながら地震発生から数時間後…


『海岸に数百の遺体が…』というニュースでした。



阪神大震災では 『火事さえおこらなければ…』


東日本大震災では 『津波さえおこらなければ…』


被害はもう少し抑えられたのでしょうか。


日本の耐震技術がどんなにレベルが高くても


高い防波堤を作ろうと


地球の大きさ、パワーの前では無力なんだと


自分を守れるのは自分だけなんだと思います。




3.11当日も、動物病院で働いていた私と他のスタッフが


待合室待っていた患者さん(飼い主さん)たちに


『まだ大きいのが来るかもしれないので、一旦建物の外に出て下さい』


と声をかけたのですが、外に出てくれた人はほとんどいませんでした。


確かに結果として被害はありませんでしたし


『大丈夫だよ!』 『こんなもんで逃げる必要ない!』と言う方もいました


本当に近くで起きた大きな地震であったら


言われる前に外に逃げ出してくれていたかもしれませんが…




あの日の事を思うといろいろ長くなってしまいますね。



私は冷たいのかもしれせんが


いつか息子が大きくなり、防災意識について話す時


『人を助けなくてもいい』 と教えたいのです。


まずは自分が確実に助かってから、その後は困ってる人を助けてあげてほしいです。


自分が生きるか死ぬかの状況で、誰かを助けて死ぬのはやめて欲しい。


それがたとえ私であっても見捨ててもらって構わない。


これは息子に限らず誰でも。


自分の為に、自分が死んで悲しむ誰かの為にも


難しいんですけどね…とっても…


誰かを見捨てて助かったとしても


そのあと生きていくのが辛くなる事もあると思います

誰かを蹴落としてまで助かれ!というのは極端ですが…


誰かと助け合って助かるのであれば


全員一緒に助かるのであれば


理想です。


まずは 『自分が生き残る事』



息子は 東日本大震災を知らない世代 として生まれましたが


知らない事は罪じゃない(だって生まれてないんだもの)


教えない事が罪なんです。


それをちゃんと聞いて、自分で考えることは本人がしなければいけない事ですが!


私もただテレビで見ていただけの人間なので


実際に被害にあった方のようにお話することは出来ませんが


私が見て思った事、感じた事、当時のニュース


伝えられる事はちゃんと伝えたいと思います。




東日本大震災の2日後に結婚式を予定していて


実家が東北だった為に家族や友人がほとんど来られない状況になってしまった


当時の職場仲間。


昨年女の子が生まれ、息子と同級生です。


あと1時間遅い時間に地震が起こっていたら


職場仲間のご両親が仙台空港にいたという事で…


運命のイタズラとはまさに…




長くなってしまいました。本日はこの辺で


亡くなったすべての方に黙祷を捧げます。



3.11